2011.3.16

1.  3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする大地震が発生した。マグニチュード9.0という国内観測史上最大の地震で、東北・関東各県では震度6以上を記録したのをはじめ、広く北海道から西日本まで大きな揺れに襲われた。その揺れは2度、3度、4度と続いた。その直後から、東北・北海道・関東地方の太平洋沿岸に記録的な大津波が押し寄せ甚大な被害をもたらした。テレビ映像は、巨大な水の塊が沿岸地方に押し寄せ、みるみる水没してゆく漁港、流れ出す車や建物、押し潰されていく住宅街を映し出した。その中には必死に助けを求める人々も多かった。巨大津波の猛威に息をのみ、凄まじい映像に釘付けとなった。
 朝日新聞の15日午後11時現在の人的被害のまとめでは、死亡4851人以上、安否不明1万4428人以上、避難52万3288人となっており、未曾有の被害である。
 一刻も早い救援と被災者への支援は、政治の責任である。


2.
 余震が頻発し不安が高まる中、さらに人々の心を凍らせたのは福島第一原発の相次ぐ事故である。
 地震で自動停止した第1号機が12日に、第3号機が14日にそれぞれ水素爆発で建屋を損壊し、また第3号機が15日に爆発で圧力抑制室を損壊し、放射能を含む蒸気や高濃度放射能を放出した。そして定期点検で停止中の第4号機も15日に爆発を起こした。作業員は決死の覚悟で注水・冷却作業を行っているが、深刻な事態は一向に収束する気配がなく、30キロ圏内の住民が避難又は屋内退避とされた。
 原子炉は、地震や事故の場合に「止める」「冷やす」「閉じ込める」ことが大前提で設計されている。しかし、「止める」ことはできたが、この「冷やす」安全装置が機能せず、次々と水素爆発で建屋を損壊し、廃炉覚悟の海水注入もうまくいかず、放射能を含む蒸気や高濃度放射能を外部に放出し、周辺住民が被曝するなど「閉じ込める」ことができなかった。原発の「安全神話」は吹き飛んだ。何としても炉心溶融が進んで放射性物質を大量に振りまく大爆発だけは止めなければならない。


3.  このような非常時に、政府はじめ政党・政治家の使命は住民の安全確保である。
 社民党は直ちに「東日本大震災対策本部」と「原子力発電所等事故対策本部」を立ち上げ、連日、情報を把握し政府への提言や東北地方対策などに対処している。例えば、唯一、反原発・脱原発に取り組んできた党としてのノウハウを活かし、原発事故対策の甘さを政府に指摘し、政府と東京電力一体の対策本部と指揮命令系統の一本化を求めた。15日にようやく統合対策本部が設置されたが、適時的確な情報伝達や対応となっていないきらいがある。政府挙げての注水・冷却を強く求め、また万が一に備え広域モニタリングの実施や広域避難体制の確立を求めてきた。また被災地・避難個所と病院等の「計画停電」からの除外やガソリン・灯油、医薬品、食料の迅速な配布などを求めている。
 何としても最悪の事態を回避するため、社民党としての役割を果たす決意である。


以 上